夏になると毎年思い出すことがあります。
それは、父が見せてくれた親心。
夏休み中、町内対抗で行われるソフトボールが僕の学区にはありました。僕はとんでもなく運動が下手くそで、体力もないので、あんまり練習は好きではありませんでした。
それでも、父がわざわざソフトボール用のグローブを買ってくれたので、それを使うのを楽しみにして頑張っていました。
運動慣れしていない僕にとっては、当時でも夏の暑さはしんどくって、アップのためのランニングだけでもうヘトヘト…。さすがにそれだけで休むのはまずいだろうと思い、キャッチボールを頑張るも、途中でリタイア…。
まぁ情けないったらありゃしない。女の子も元気に頑張る中、僕は端の日陰で休むことになりました。
練習中、毎回…というわけではなかったけれども、そういうことはちょいちょいありました。
そんなんだし、そもそも守備もまともにできないから、同級生がバッチリ選手に選ばれる中、僕は当然ベンチ…。
同級生が選ばれて、下級生も選ばれて…自分がベンチ入りだとやっぱり悔しかったです。
試合では、一回も出場することはありませんでした。僕が試合中にやっていたことは、大きな声で仲間を応援することと、みんながベンチに置いていったバットやグローブ、ヘルメットをきれいに並べることでした。
僕の中では、「試合で頑張った!」なんていう感覚はなくて、「試合のお手伝いにい行った」という感じでした。
でも、その日、全くいいところが無かった僕に対して父は言ったんです。
「よく頑張ったな」
って。
小学6年生でしたから、さすがに「いやいや、僕出てないよ。頑張れてないよ。」と言いました。
そうですよね。自分で「頑張った!」という感覚がなかったんですから。
父は、
「お前が一生懸命応援してたし、道具を並べていただろ?あれでみんなは気持ちよく試合ができたと思うぞ。それも仲間としての一つの協力だぞ。よく頑張ってたよ。」
と言いました。
そのとき、ようやく僕はチームに対して「必要だったんだ」と思えました。父の言葉がすごくうれしかったのを覚えています。
練習の早い段階ですぐにヘトヘトになり、
守備も攻撃も全く参加していない
そんな風でも、父は、
めちゃくちゃ「激」を入れるんではなくて、
僕の頑張ったところを見つめて、認めてくれました。
めちゃくちゃ恐い父でしたが、頑張ったことに対しては、常に認めてくれました。
認められるからこそ、次を頑張る勇気が出てくる。
その頑張りが、その人にとってどうか…というのは見極めがとっても大切だと思うけれど、次を頑張るエネルギーが湧いてくるような言葉掛け、親としても教師としても、子ども達に向けて続けていこう。
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