「○○先生は話を聞いてくれない」と言っている子に、これまで何度か出会ってきました。
これは主にトラブルがあったときに、子ども達が言う言葉です。
こんな話を聞くと、やっぱりその先生のことが心配になるので聞いてみます。
「子ども達がね、話を聞いてくれないって言ってるよ」と。
すると、「私はちゃんと話を聞いてます」と返事があります。
こんなやりとりが今までに、全然違う場で二回ありました。
先生も異なる方です。もちろん、子どもも全然違う子です。これには驚きました。
先生は「話を聞いている」って言っているのに、子ども達は「先生は話を聞いてくれない」って言う。
これは一体何なんだと。どちらかが嘘をついている?
いや、そんなことではありません。
子ども達が求めていることは、共感なんです。先生に共感されない。分かってもらえない。それが「話を聞いてくれない」になっていたんです。
共感は、相手の置かれている立場に立って、相手になりきって、物事を捉えないとできません。人は主観でしか物事を捉えることができないのだから。
箕輪 厚介が著書「死ぬこと以外にかすり傷」で、憑依レベルで相手になりきれと謳ってました。
憑依はさすがにいきすぎかもしれませんが、相手の気持ちを考えるためには必要なことだと思います。
これは子どもと大人だけじゃなくて、大人同士でも言えますよね。例えば夫婦間とか。
相手の立場に立って、相手になりきって物事を見つめ直してみると、今まで感じられなかったことを感じられるようになるかもしれません。
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