小学校の先生って、字が上手な人、とっても多いです。
ちなみに僕はとっても下手くそでした(笑)大学生の頃に、姉に「そんな下手な字で小学校の先生になるの?」と馬鹿にされたので悔しくて特訓しました。
話が逸れましたが、小学校の先生は字が上手な人が多いんです。そのために、子どもが書いた字に厳しいんです。本当に厳しい。これまでの経験上、ベテランの女性の先生は厳しい人が多いです。
子どもの書いた字のバランスが悪いものは、ひたすらに赤で直します。尋常じゃないくらい直します。
僕はこの行為が中々の時間の浪費だと思ってます。先生にとっても子どもにとっても。
もちろん、急いで適当に書いたっていう子もいます。間違っていたら直します。ただ美しさにはこだわりません。お互いの時間がもったいないからです。
頑張っても、時間をかけても、書けない子っているんですよね。
では美しい字が書けないからといってダメなのか。そうではないです。
僕は友達に、字は美しく書けないけれど、とんでもなく頭の回転が早い人がたくさんいます。中には東大に行った友達もいます。字は全然美しくないけれども。
だから僕は字の美しさはこだわりません。
字の美しさが全てじゃないと思っているからです。
字の美しさを求める先生は言います。
「こんな字で大人になったときにどうするのか。」
「こんな字じゃ将来困る。」
こんな風に子どもたちの将来を憂い、今日もせっせと字の美しさを求めて時間を費やすのです。
20年くらい前なら、そう言われても「ふむふむ」と思えましたが…今は……ね。
パソコンあるし。スマホあるし。
字を書くことが好きな子は、ぜひとも時間をかけてほしい。それが自分の得意な表現法なんだから。
でも、そこに時間をかけたくない子はかけなくていいよ。
違うところに時間を使えばいいよ。
先生も違うところから良さを見つければいい。
そんな緩さをもってもいいんじゃないかな。
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