この1年間、様々な学習活動に対して子どもたちに押し付けることをやめていました。
例えば宿題。音読や漢字や計算の宿題を出していますが、やるのは自由です。
僕が宿題を出す理由は話しました。こんな力を伸ばしてほしいからだよ〜って。
怒られないようにするためという理由でやっている子はやめていいよって。
授業も同じ。聞きたくなくなるような話を僕がしてたらいかんなぁって思うから、聞きたくなくなったら聞かなくていいよ~と話しております。
人に迷惑をかけないような自由を与えてみました。
宿題提出されなくても、授業で騒がず他ごとしてても、困らないから。
そんなのみんなやらなくなるって思うでしょ?
でもなぜか不思議とやるんです。
先生は責任感が強すぎる
教員になって12年が経ちます。子どもたちの健やかな成長を願って日々仕事をしていることは変わらないですが、昔と今とで変わったことがあります。
それは「この一年間でどうにか成長させなきゃ」という考えが無くなったことです。
自分が受け持ったこの一年で、何とか成長をさせなきゃ。学力や人間性を高めなきゃ。
昔はそんなことを考えて仕事していました。
「自分が頑張って、担任した子どもたちを変えるんだ!」
そんな責任感を感じていました。
だから宿題忘れが続くようなものなら厳しく指導。
授業で話を聞かないのなら、話をしっかり聞けるように厳しく指導。
しっかりとやるべきことをやれるようにしなきゃ!っていうことを考えていました。
自分が今育てないと、これから先、どうなっていくか分からない。何とかしなきゃ。何とか力を付けてあげなきゃ。
そんな責任感を肩に抱え、子どもたちが努力しないものなら厳しくする。。。
僕は以前、このような考え方だったし、このような考え方の先生は多いと思っています。
子どもたちの「今」が幸せかどうかを判断基準にする
僕は自由にしていいよってことが多いですが、(もちろん周りに迷惑をかけない類のことで)子どもに考える機会は与えます。
「その考えであなたが『幸せだなぁ~』って感じられるならそれでいいよ。でもそう感じられないのなら、それは選んでほしくないなぁって思っちゃうな。」
そして子どもたちは考えます。そして選択します。
昔の僕は、「子どもたちの未来がよりよくなるように。」ばかり考えていました。
勉強しないと、絶対に大変な思いをすることになる。
話を聞けるようにさせないと、色々なところで苦労する。
そんな子どもたちの先のことを考えて、今と比べ、「このままじゃダメだ!」と思い厳しい指導になってしまっていたんです。
「今」の子どもたちのことをしっかり見られていなかったなぁって思います。
「よりよい未来のためには厳しい指導が必要だ!」という勘違い
「厳しくしてもらったから今の自分がいるんだ。苦しいことに立ち向かっていったから今の自分がいるんだ。」
厳しくする人や、苦しいことを子どもに押し付ける人は自分の過去の経験を元にしているんだと思います。「よりより未来のためには厳しさや困難を乗り越えることが大切だ!」って。
でもそれって感じ方は人それぞれなんです。
極端な話、「今」がよければ、どんな過去だってよくなるし、「今」が悪ければ、どんな過去だって悪くなる。
「今」が幸せと感じている人は、「あの時の、苦しいあの日々があったから今があるんだなぁ」と思うし、
「今」が不幸せと感じている人は、「あの時の、苦しいあの日々のせいで今がこうなんだ!」と思ってしまう。
そう考えると、「すてきな未来のためには厳しい指導」というのは勘違いなんだろうな。
教師も選択できる
どんな指導をするかなんて、教師の自由。
厳しい指導をする先生も、温かい指導をする先生も気持ちは一緒。
「子どもたちのため」
だからどちらが好みなのかを選べばいいんだよね。
厳しく恐い雰囲気があるからこそ子どもたちが行動する教室がいいか、
温か~い雰囲気で包まれているからこそ子どもたちが行動する教室がいいか。
どちらの方が、自分が幸せに生きられるかを選べばいいと思う。
僕は今までもっていたわけのわからない責任感を手放したことで、すごく幸せに、いつも笑顔で教室にいられるようになりました。
教室でも、もちろん家でも、ちょっと責任感を手放すこと、おすすめしますよ。
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