大人が心配する気持ちは子どもにとってお節介になっているかもしれない

ようやく!

ようやく!!

 

学校が始まるんだなという気持ちになりました!!

とっても嬉しいです。

 

今回のことで、学習の遅れが…という話が様々なところで出ております。

どうやら後の学年に振り分ける…ということなので、「学ばず」というわけではないようですね。

 

まぁ、学習のことって大人たちはとても心配しますよね。

学んでいないと困る。

勉強をちゃんとやってないと将来大変だ。

…その気持ち、よくわかります。

とりわけ、「学習」は、できないとすごく心配されます。

 

僕は小学生の頃、勉強が特別できるわけでもなかったし(教師になれるレベルではとてもじゃないけれど届いてなかった)、運動なんてとんでもなくできなくて…そりゃもう、心配の塊のような存在でした。

精神的にも弱っちい子どもだったと記憶してます。

 

 

周りの先生たちの指導を見たり、話したりしていると、子どもたちにすごく多くのことを求めているなぁということを感じました。

勉強のこと、

運動のこと、

更に更に、部活動のこと、

小学生の子達に求めるレベルが高いなぁと。

 

僕の子どもの頃を見られていたら間違いなく、多くの先生たちの中で落第生だったんだろうな。

 

まぁ、昔の僕のような、勉強にも運動にもどんなところにも自信がもてない子ってまぁまぁいるんです。

そして、そういう子って心配されるんです。

「〇〇ができないと、将来どうなるんだろうね」

「これができないと、大人になったときにどうするの!?」

というような心配です。

 

僕も教員になりたての頃は、そういう心配する気持ちから、

「子どもたちの未来に一つでも多くの選択肢があるようにしなきゃ!」

というような気持ちで学習指導していました。

 

別に悪いことじゃないと思うんです。

でも、その心配って、子どもたちからしたらお節介なんですよね。

そのことに気付けませんでした。

気付けないどころか寧ろ、無理やり勉強をやらせていました。

僕らが「絶対必要だ!!」と思っていることが、その子の人生では重要視されていないのにね。

 

 

話が変わりますが、休校続きで自宅で過ごす子どもたちを元気づけるための動画配信をしようという活動が、自治体の教育委員会からお達しできました。

「youtubeのアカウントをとって…」という当たり前の説明のところで、校長・教頭先生ちんぷんかんぷん…。

 

いや、これ算数で例えるなら1+1=2レベル…

 

まぁこんな知識は校長・教頭先生にとっては必要のないことなんですよね。

だから、「これからの時代にはこういう知識は必要なんですよ!!」なんて心配して言っても、お節介になるんですよねー。

 

…っていうと、これどっかで聞いた話じゃないかいと。

 

どんなことが、誰にとって価値があるかはその人次第。

にも関わらず、「学校の勉強」は押し売りされる。

そして心配される。

 

でも、それだと何だか前向きじゃないんだよねー。

心配する気持ちも大切。

でも、心配だけ伝えても、子どもにとってはお節介。

 

愛されパパになるための魔法の質問

心配する前に、できることは何ですか?

 

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