「片付け・掃除しなさい」じゃないアプローチ

休校措置がとられてからの一週間が終わりました。

学校に子どもたちの声が響かない。晴れた校庭に沢山の子どもたちがいない。

そういう学校はやっぱり寂しく思います。

早くコロナウイルスが終息していってほしいと心から願います。

 

 

子どもたちが学校にほぼいないということで、本来なら学期末までに子どもたちと共に行うはずだった教室の片付けをひとり寂しくやっております。

そして、ひとり寂しく教室の片付け・掃除をしていると改めて子どもたちの力の大きさを感じます。

 

以前SNSで、

「子どもたちに学校の掃除をさせるのは時間の無駄」、「掃除は業者に頼めばその時間は子どもの教育活動に使える」、「夜の校舎にルンバを走らせればいい」

という投稿を見たことがあります。最後のギャグだとしか思えないけれど。

別に否定はしません。なるほど、そういう考えもあったかと感じました。

 

でも子どもたちが毎日掃除をしてくれているのは学校をきれいに保つためにとっても必要なことです。

学校って子どもたちが一日過ごすと、めちゃくちゃ汚れるんです。

びっくりするぐらい。

掃除してきれいになったなぁ~と思っても、翌日の2、3限ころにはホコリが…

 

仮に毎日掃除をしないでいると間違いなく子どもたちは汚い教室で学習することになります。

そういうことから僕は子どもたちに掃除をしてもらうのって必要だなって思います。そして毎日掃除をしてくれることで学校がきれいに保たれているんだなと思います。

 

 

年度末だと、子どもたちは自分たちが過ごしてきた教室を特にきれいにしてくれます。

 

「片付けなさい・掃除しなさい」

 

そんな言葉は必要ありません。

「掃除をすることになっているから」というのはあるかもしれませんが、気合が入ってるんですよね。

お世話になった教室をきれいにしようという気持ちでいっぱいなんです。

もちろん日頃からそういう気持ちで掃除できれば尚更よいのですが…(苦笑)

 

でもここに、掃除や片付けを子どもたちにしてほしいときのアプローチのヒントがあるなって思うんです。

 

家庭で掃除や片付けをするときに、

「片付けしなさい」、「掃除しなさい」

というアプローチは大概効果ないですよね。 

 

言葉いらずのアプローチってどうでしょう?

 

要は、その場を愛せるようにすること。

 

 

一年間通った教室が、自分が愛着をもてる場になっているからこそ

「お世話になった教室をきれいにしよう」

という気持ちが湧いて、行動に移るんですよね。

 

 

場を愛することができるようになれば、ちょっと感じることが変わるんじゃないかな。

愛することができる家と愛することができない家。

どちらが掃除や片付けをしたくなるかって明白ですよね。

 

じゃあどうすれば居心地がよくなるか。

それがアプローチの変え方であって、考えるところ。

でも一つ言えるのは

「片付けしなさい!」・「掃除しなさい!」

では場を愛することなんてできないということ。

 

場を愛することができるようになるアプローチをしてみると、子どもたちが掃除や片付けを始めるかもしれません(*´∀`)

 

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