今年、僕が初めて受け持った6年生の子達の成人式がありました。初めて6年生を受け持ったときは教員4年目。今とは指導の仕方や考え方が全く違っていました。
成人式で会った教え子の中には、
「先生と目が合った時、また叱られるかと思っちゃった。」
そんなことを話していた子も…「子」なんて言ったらおかしいかな(笑)そんな方もいました。
教員4年目のとき、僕は自分の価値観でしか物事を捉えずに、自分の中の正義を押し付けることばかりしていたと思います。
間違いを正すことに必死で、「子どもたちがこのまま育ったら非行の道に走るんじゃないか」なんてことを考えて、「こっちへ来い、こっちへ来い」と言わんばかりにグイグイ引っ張っていました。
僕の中での「悪いこと」と思っていることに対して、「いかんだろ!!」という指導をすることしかできなかったので、成人式でそのようなことを言われてしまったのだと思います。
嬉しい再会もありました。
当時のクラスで僕の指導が原因で不登校になってしまった子がいました。僕が話をしっかり聞かず、他の子との指導の仕方に差が出てしまったために学校が嫌になってしまったと…当時保護者の方からお話をいただきました。その子は結局卒業式にも出席できずで、卒業式の午後に応接室で簡易的な式を行い卒業していきました。
ずっと申し訳なく思っていたその子と再会できました。ふとした時によく思い出していました。中学、高校はどうなったんだろう。就職できているかな…。
僕の心配は全くの杞憂で、現在就職して立派な社会人になっていました。
自分が原因で不登校になってしまったその子に、僕はすごく恨まれていると思っていました。
当時の僕は、不登校になってしまい、お母さんを困らせ、毎日学校を休んでダラダラと家で過ごすその子に腹を立てていました。
「学校においでよ」
そんなことしか言えませんでした。
迎えに行っても顔を見せてくれることもなくなりました。
本当にどうしていいのか分からなかったし、不登校にさせてしまった罪悪感でいっぱいでした。
そんな彼は成人式の日、爽やかな笑顔で「あの時は本当にお世話になりました。ありがとうございました。」と言ってくれました。差し出された手は、当時とは比べ物にならないくらい大きくて、しっかりしていて、温かかったです。
以前の僕は、本当に強引だったと思います。
授業をするにしても、指導をするにしても、
自分が「良い!」と思う方向へグイグイ引っ張るだけの大人。
自分が「悪い!」と思った方向へは絶対に行かせない!と思いっきり引っ張るだけの大人。
「ニュートラルな気持ちで」
これは名月荘でマツダミヒロさんが教えてくれた言葉の一つです。
自分が「良い!」と思った方向へ引っ張れば引っ張ろうとするほど、相手は反対の方向へと行ってしまう。
「ほら、あんた、こっちへ来なさい!!」という親に対して
「嫌だ~、こっちの方がいいもん!!」と意地を張る子みたいな感じ(笑)
昔の僕の指導は、正にこれだなと思いました。
ニュートラルな気持ちで子どもたちと接すると、子どもたちは勝手に伸びます。下手に「何かしてあげなきゃ!」とあれこれ手出しすればするほど、プレッシャーを与えてしまいます。
以前の僕は授業でも「こっちこっち!」という気持ちが強かったです。
課題に対して何も書けない子に向けて、
「何でもいいから書いてみよう」、
「ほら、ここを見ると分かるよ!頑張れ!」
「絶対できるよ!!」
そんな修造ばりの言葉をかけまくって応援していました。それが悪いことと言うつもりはないんですが、「書けない」ということを受け止めることができなかったんだと思います。
1年程前からは
「考えを書けない場合は『書けてないよ』とグループの子に言えばいいよ。グループの子は『そうなんだね~』と受け止めてね。」
という方法にしています。
「そんなユルくで大丈夫なの?」と思われるかもしれませんが、これが意外にも考えを書けなかった子が書けるようになっていくんです。4月の頃に全く自分の考えを書けなかった子が、最近は自分の考えを記述できているんですよ。改めて子どもって勝手に伸びるなぁって思いました。
勝手にと言っても、決して「無視をする」ということではありません。
信じて受け止めること。
全てを受け止め、ただひたすらに愛で包むこと。
とてもシンプルなんだけれど、とても難しい。
親としても、教師としても、一生大切にしていきたいと思っています。
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