学校の活動に地域の大人を巻き込むことが、子どもをよりよく育てる鍵になるはずだ!

幼稚園の頃、よく遊ぶ広場の近くにある家の庭からみかんを盗んでこようという遊びをしたことがあります。

その家にみかんの木があって、道路沿いにみかんの木が生えていたんです。

広場から、そのみかんの木を見た時に、「友達同士で誰が一番最初に行く??」というようなやりとりをしてね。

 

ジャンケンで決めて、「一番手は〇〇だ!」なんていう…今思い出すと、えらい迷惑なことをしていたなと思います。

 

みかんが目的っていうよりも、一種の忍者ごっこ、スパイごっこ的な感じで、「この作戦を成功させよう!」というノリだったんです。

 

 

最初はね、上手いこといくんです。まさかみかんの木からみかんを盗るやつなんていると思わないですからね。

でも続けてやっていると、騒がしくなるからバレるんです。(笑)

 

当時はそうなったら周りの大人が黙っちゃいません。即、注意を受けました。ぐうの音もでなかったです。そりゃそうだ。言い逃れできないくらいの状況だし、悪いなぁってことやってたし。

その日以降、広場に行っても、みかんの木からみかんを盗もうぜ~、なんていうノリは消え去りました。

 

その場で直接注意をされるって、子どもの立場からするとわかりやすいし、言い訳できない。やっぱだめだよねってすぐ思える。

 

 

 

地域の大人が、その地域の子どもに目を向けるっていうのは子どもが育っていく過程でとても大切だなぁって思う。 

でも今は、中々そんな風に叱ってくれる大人の姿を見ません。

 

地域で起きた子どもたちのあれやこれやは、学校へと集約されます。学校へ集約された問題は、教頭や生徒指導主任から連絡あります。そして各担任へと話されて、担任からクラスの子どもたちへ話があります。遠っ!!

 

僕はこういうとき、話をするのがすごく嫌いです。

なぜならば、学校の児童ではあっても、どこのクラスのどの子がやったから分からない内容の指導話をすることになるからです。

朝からこんな話を聞かされたら子どもと言えどもたまったもんじゃありません。

 

機嫌が悪い子なんかは

「はぁ、そんなん知らんし、やってないし!」

となりかねない。まったくもって意味がない。

 

それでも「学校で子どもたちに指導した」という形式を求められます。

 

 

昨日の新幹線の話でも出したけれど、僕は教員や地域の大人たちみんなで、その地域の子どもたちを育てたいと思っています。

 

でも今は学校と地域がすごく離れています。

「開かれた学校」と謳われてはいるものの、学校が開かれても、

ウェルカム!!

というノリでもなければ、

 

イェーイ!センキュー!

という雰囲気でもない。

 

形式的には開かれているけれど、心が開かれていないんです。

 

 

 

昨日も学校に苦情の電話がありました。地域の方は直接問題のあった子に話すわけでもなく、学校に電話がきました。上記の流れで指導を行いました。

本来ならば、見ていたときに直接注意を入れてもらえると子どもはわかりやすいし、反省しやすいです。

いろんなところを経由するたびに、事実がひん曲がるし、子どもたちには分かり辛い指導になってしまいます。

 

 

地域の方の心の壁をぶち壊すべく、学校の活動に地域の方を巻き込みたいと思っています。

学校と地域の大人みんなで、その地域の子どもたちを育てていきたいなヽ(´▽`)/

 

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