僕が出会った学校の先生にはストイックな方が多い。
自身が親から教育されてきたこと、学生時代の経験、日々の生活の中でのあれやこれや、教師としてのあれやこれや……
厳しい教育を受け、勉強やスポーツなどで大変な思いをし、毎日の生活ではやることが溢れ、教員としての仕事も手を抜かず行う。
だから、そんな自分と比較をすると…
授業中だらける子
宿題を頻繁に忘れてくる子
お手伝いをしない子
部活動で必死になれない子
元気よく挨拶ができない子
etc…
そんな子を「これはいかん!」と思ってしまう。
このままでは、この子は碌な大人にならないんじゃないか。
わけのわからない焦りが生まれてくる。
子どもの頃の自分は、こういう教育を受け、こんなときに必死になったからこそ、今の自分がいるんだぞと、変な比較が行われる。
でも思う。自分の人生は自分自身を形作るものであって、子どもの人生は子どもが決める。
自分が歩んできた人生との比較を手放すと、子どもをこっちの方向へ向けてやろうという気持ちがなくなる。
それは決して放っておくわけではないんです。
ほら、得意不得意があるからさ。
こっちはマジで勘弁なんです。僕これはどうにもこうにもできないんです。でもこっちなら全力で行けるんで、こっち行かせてください!!
って子を無理やり違う方向に向かわせるって結構、酷な話でしょ?
こっちなら全力で行けるんで、こっち行かせてください!
って方向に、
よし!分かった!!それならこっちに向かって全力で行ってこーい!!ファイトー!
って送り出せる方が絶対に気持ちいいんだよね。
どこにも行きたくないし。じっとしていたいし。
そんな子がいたら、
いいねー。じっとしてなよ。立ち止まるのも必要なときがあるぞ。
って言える方が、笑顔でいられるんだよね。
僕は自分の人生、ゆる~く生きてきた。自分なりに大変な思いもしたと思うけど、
そんな経験、多くのストイックな先生方が見たら絶対に大したことない経験。
だから小学生の頃の僕は、教員になってから出会ったストイックな先生方が関わっていたら、間違いなく叱られ罵倒されていた存在。
でもそんな存在でも、仕事就けてる。教員やれてる。
今の自分自身や自分の過去と、クラスの子どもを比較することがなくなったら、きっと子どもに優しくなれるよ。
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