「これは何ですか?」には根気よく
5月で三歳の誕生日を迎える長男の知りたい欲が爆発してきました。
最近は、ものでも、文字でも、「これは何ですか?」「これは?」「これは?」とひたすらに尋ねられます。人間の本能である、「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」の内の「知りたい」本能が全開です。
僕は、息子がこのように聞いてくれることはとても嬉しくて、ちょっとしつこいと思うこともありますが、喜んで話しています。
なぜなら息子には「学びたい!」という気持ちを常にもって生活し続けてほしいと思っているからです。
この時期にの「これは?」「これは?」に対して、会話を続けていくことで、知りたい本能がどんどん刺激されます。話せば話すほど、夢中になっていきます。
すると、子どもの言葉がどんどん増えて、会話が益々楽しくなります。
この時期の「これは?」に対して、心が満たされていないと、きっと適当な対応をすることしかできなくなってしまい、「知りたい」本能がなくなっていくんだろうとも思っています。
だからこそ、会話が大切。自分の心をしっかり満たして、マシンガンのように連発される「これは何ですか?」に、しっかり答えたいです。
「〇〇なのはどうして?」には、必ずしも正解を求めず
「これは何ですか?」の時期を終えると、次に迫って来るのは「どうして?」「なぜ?」だと思っています。
これまでの僕なら、きっとクソ真面目に「それはね…」と答えを話していたと思うんですが、最近は答えを話すのではなく、共に考えることをしていこうと計画してます。
例えば、電話。
「どうして電話でお話できるの?」
って聞かれたら、どのように答えますか?
ここで、
「電話っていうのはお話する道具なんだよ」
で終わらせるのと、
「中に人が入っているんじゃないかな?どう思う?」
と問いかけてみるのでは、脳の働かせ方が全く違います。
前者では、「ふーん、そうなんだ」で終わりますが、
後者は「えー、人は入っていないと思うな」とその子なりの考えが出てきます。
さらに問いかけると、その答えに対する根拠もどんどん話すはずです。
別に正しい答えを伝える必要はなくて、
「どうして電話で話ができるのか」
ということをテーマに議論ができれば、それだけで勉強です。
身の回りの「なぜ?」を大人も大切に
最先端の科学じゃなくても、身の回りにはまだまだ「なぜ?」が溢れています。
大学4年生のころ、研究室の教授に
「渡邉くん。晴れた日の雲は白いのに、雨雲が灰色なのはなぜ?」
と聞かれて困惑しました。そのことに「なぜ?」と思ったこともありませんでした。
ありふれた光景なのに全く分からず、考える力の無さに落ち込んだのを覚えています。
日常の中に「なぜ?」は隠されていて、それに対して子どもと共に考えていき、親子楽しく思考力を高めていきたいと思います。
ちなみに当時、教授には「そんなことも分からないバカが小学校の先生やっちゃダメだよ。」と言われました(笑)
みなさん、分かりますか?
コメントを残す