叱る、褒めるをしない教育

教員になってまもなく12年が経ちます。教育に対する様々な考え方に出会いました。

「叱ることが大切」・・・確かにその通りだと思う。いけないことをしたら厳しく叱る。クラスなどの集団をまとめるときにも厳しく叱ると、とてもまとめやすいことは確か。恐怖政治しているつもりはないけれど、「先生は叱るとき恐い」というのは抑止力になる。

「褒めることが大切」・・・子どもって褒められるとすごく喜ぶ。「すごいね~!!」とか「えらい!」とか、タイミングを逃さず言い方に気をつけて言うとめちゃくちゃ喜ぶ。そんでまた頑張ろうとします。

 

叱ることも褒めることも、どちらも大切だなと思って過ごしてきた10年間。叱るときは烈火の如く叱ってきたし、褒めるときは思いっ切り褒めてきた。「叱る」も「褒める」もどちらもこちらが相手のことを思い、気持ちを込めていれば子どもたちにしっかりと伝わりました。だから自分のやってきたやり方ってこのままでいいなと思っていました。

 

ここ2年。理科以外の分野に興味をもって勉強していたら、叱ることも褒めることもしない教育に出会いました。僕が一番共感できたのは、「教育とは介入ではなくて自立に向けた援助である」ということ。

叱ること褒めることって、即効性はあります。タイミングと言い方さえ気をつければすぐに効果は出ます。ただ、子どもたちは「叱られる・褒められる」に依存してしまう可能性が高いです。だから「叱られない、褒められない」と育たない。これは自立とは言えません。

初任校で、すっごい生活指導が上手な先生がいました。そのクラスの子たちは指示に的確に従います。クラスの子たちに「しっかりしているね」と言うと「だって先生が恐いもん」と返事がきたことを覚えています。

 

でも「叱る、褒めるをしないんだったらどうするんだ」ってなりますよね。最近意識していることは、「変えようとも、操作しようともせず、何かの条件を付けることもせずに『ありのままのその人』を認める」ということです。

「そんなんでうまくいくわけないだろ」、「クラス荒れるだろ」、「馬鹿にされるだろ」などなど色々言われそうですけど、楽しくやれてます。もちろん、ただ「認める」だけではありません。自立を目指す教育の大切な要素は他にもたくさんあります。

でもこの考えが無いと、「他者を変えよう、操作しよう」という考えに至ってしまう。だから自立しない。そして反発が起きる。反発を押さえ込もうと思うと、「恐怖政治」が顔を出す。

時間はかかります。即効性はありません。でも考える機会は子どもたちにたくさん与えることができます。子どもたちの自立を目指し、これからも頑張っていこうと思います。

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