子どもとのひとときを、より大切に思うために

昨日、一昨日と奈良、京都へ修学旅行でした。7年ぶり二回目の6年生で、しかも初めての学年主任なもんだから、あたふた半端なかったです。しかも児童の財布が1つ無くなる事件が勃発したし(^_^;)

 

子供のときと、教員になってからでこれで3度目の奈良、京都。今回初めて座禅体験を行いました。座禅体験はとても良かったのですが、それ以上に和尚さんが話をしてくれた内容に感銘を受けました。

ここのお寺、海外の方もよく座禅体験に来られるそうなのですが、和尚さん曰く外国人の中で最も知名度が高い日本語って「禅」なんだそうです。その「禅」って何なのか。それを和尚さんが話してくれました。

初めに、「失って初めて大切ってわかるものって何だと思います?命ですね。では、みなさん命を大切にしていますか」という質問をされました。子どもたちは、そりゃ当たり前でしょというように挙手です。

そして次に、立て続けにこんな質問を。

・今日、この後お昼ご飯食べる人

・家に帰ってから晩ご飯食べる人

・朝起きてから朝ごはん食べる人

 

・・・子どもたちは不思議そうに挙手を続けました。正直僕も、何を聞いてるのかなと思ってました。和尚さんも言ってました。「何言っとるんだ、この坊主はと思いますよね」って。しして「ただ手を挙げた皆さん、命を大切にしていないですよ。」って言われたんです。

もはや訳が分からん。

その後「この後に食べるお昼ご飯を生涯最後のお昼ご飯だと思って食べてみてください」と続けました。そして東日本大震災のお話へ…

東日本大震災で亡くなった方々は、あの日のお昼ご飯が生涯最後のお昼ご飯だったんです。夜ご飯を食べるつもりでも、食べられなかった。まさかあんな大きな地震が来るとは思ってなかった。だから、次に食べるお昼ご飯を生涯最後のお昼ご飯だと思って食べてみてください。先のことを当たり前と思っている人は、命を大切にしてるとは言えません。「禅」とは、生き方。全てのことが奇跡的と思い、感謝の気持ちをもって、今を大切に生きる。そんな生き方。

今を大切に生きる。

当たり前のことだけれど、中々できない。

全てのことが奇跡的と思う。

これも実際に辛い思いをしないと中々思えない。

 

でも、これを意識的に考えたとき、全てのひとときが愛おしく思えてくる。

子どもが一言一言話しかけてくれるひととき。

子どもが笑いかけてくれるひととき。

子どもがぎゃんぎゃん泣いているひととき。

子どもが言うことを聞いてくれないひととき。

子どもがずりばいを覚える前に、じたばたするひととき。

 

数え上げればキリがない程、愛おしいひとときがある。

そのひとときは全て奇跡的なんだ。

家族が大きな病気もなく、怪我もなく、事故や事件に巻き込まれずみんなが元気でいること。これは奇跡的なんだ。

 

こう思うと、子どもと過ごすひとときがより大切になってくる。

ついついスマホや本を片手になってしまうときがある。そのせいで子どもが「こっち見て!」と言わんばかりの行動をする。これ、大切なひとときを一緒に過ごせてないってことなんだよな。

 

極端な考え方かもしれないけれど、「禅」という生き方の中には、育児や教育をするために必要な精神がある気がするな。いつか深く勉強しよう!ヽ(´▽`)/

 

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